今週の説教要旨

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2011年4月3日

「わたしに倣え」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 4章 6-21節

 レント(受難週)を送っています。主イエスが私の罪を担って下さったという痛みを覚えつつこの期間を過ごします。大震災に遭われた東北の方々の悲しみを少しでも共有しましょう。キリスト教信仰は、キリストによる罪の許しが根本です。マルチン・ルターは「大胆に罪を犯せ」と言いました。罪許された者が、その愛に応えることです。ここで自己受容が可能になります。

                  

 私たちはそれぞれ持ち味は違いますが、それらはみな神様からの預かりものです。今何を持っているかではなく、それをどう生かしているかが問われます。私たちが今持っているもので、自分で初めから持っていたものは何一つありません。与えられたものと付き合いながら、やがて神様に返さなければなりません。

                  

 使徒パウロは、自分たちのことを「キリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者」(4)と表現しています。一人ひとりには「神の秘められた計画」(ワンダフル)があり、そのために神さまからそれぞれの命をあずかっています。それは「秘められた神の計画」であり、誰にも分かりませんが、私たちはそれを尋ね、探し、そのために「仕える者」です。「仕える」というのは、奴隷船のいちばん底で櫂をこぐ人のことです。そのことを主イエスは「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(ルカ22:26)」と言われました。持っているものを自分を喜ばすためではなく、キリストに仕える者として用いるのです。仕えるところで自分との出会いが起こります。

                  

 次に私たちは「秘められた計画をゆだねられた管理者」だと言われています。神様から私というもの、この世というものをゆだねられているのです。ゆだねられたものとして責任があります。「仕える者」でありながら、ゆだねられた権威を持つのです。この世のどんな力にも左右されない権威です。誰からも裁かれない、自分自身からも自由にされた権威に基づいています。イエス・キリストを土台としているからです。

                  

 そして「管理者に要求されることは、忠実であることです」。忠実について考えてみましょう。それは神さまの秘められた計画に忠実であることです。自分や他人ではなく、神様の秘められた計画に向かって忠実であることが求められます。

                  

 イエスのタラントンのたとえ話から学んでみましょう。(マタイ25:14-30)ある人が旅に出かけるとき、僕たちを呼んで自分の財産を預けました。それぞれ力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出ました。5タラントン預かった人は商売して他に5タラントンもうけました。2タラントン預かった人もそれで商売をして他に2タラントンもうけました。この二人の僕に対して主人は「忠実な僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と喜んで言いました。しかし、1タラントン預かった人は「ご主人様、あなたは蒔かないところから刈り取り、散らさないところから集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり地の中に埋めておきました。これがあなたのお金です」と言いました。これに対して主人は「怠け者。悪い僕だ」と叱りつけて、外の暗闇に追い出したのでした。

                        

 前の二人は「少しのものに忠実であった。」少しのものとは、自分の現実でありこの世での事々です。「忠実な僕」は、そこを神の秘められた計画の場と受け止めました。そこは宣教の愚かさの支配するところです。彼らは、きっと恥をかき、悔しい思いをするでしょう。責任を問われたじろぐほかないところで、神に助けを求める人です。自分の持っているものが小さく弱く大きくないので、気が重くなったり、そんなことしたって何になるのだ、と馬鹿にされたかも知れません。具体的なことには辛いことがつきものです。それが「神の秘められた計画」ワンダーフルなのです。それは「小さなこと」です。自分の与えられたタラントンは主から預かったものです。1タラントンの人は、自分の現実を地に埋めました。主の許しを受け入れていなかったからです。忠実ということは、恥をかき、失敗することです。人生の解説者は要りません。恐れず、ためらわず、示されたことを大胆に始めなさい。それこそが忠実な僕と呼ばれる人です。

日本基督教団 世光教会のご案内

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。