今週の説教要旨

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2011年5月22日

「愛は人を造り上げる」

榎本栄次 牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 8章 1-6節

 伝道は人づくりです。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(8:1)自分は何でも分かっていると思いあがり、それが人をだめにすることがあります。大切なことは、自分が義人と言われることではなく、相手が救われることです。E・ブルンナーは「神は存在するか」というもの好きなせんさく屋の質問に対して、「否、神なる者は存在しない。ヒマラヤ山脈は存在する。天王星は存在する。ラディウム元素は存在する。しかし神なる者は存在しない。・・・神は世界の中に存在しない。反対に世界が神の中に存在する。神はあなたの知識の中に存在せずして、神の中にあなたの知識は存在する」と答えています。さらに「もしあなたが、あなたの問いに対して、『然り、神は存在する』という答えを受け取るならば、あなたはいっそうひどい妄想の中に深入りするだけです」と付け加えています。神を知識として知ろうとしてもできるものではありません。使徒パウロは「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」(3)と言います。神さまのことを私が知るのではなく、神さまに知られるという受身型であるのが信仰です。

 当時の教会の事情は、ユダヤ的(ヘブライズム)キリスト教徒とギリシャ的(ヘレニズム)キリスト教徒との間で深刻な混乱が見られました。古いユダヤ主義のキリスト教徒と、異邦人でキリスト教徒になった信徒との間で、特に食物や、割礼についての対立が起きたのです。そこでパウロは何が優先されるべきかについて述べています。新しい教えが入ってくるときに、ともすればそれまでの教えを捨てられない人々を軽視する傾向が起きています。自分たちの知識(グノーシス)を誇り、それこそ世界の真理としていました。「知識は人を高ぶらせ、愛は造り上げる」とあるように、何が正しいかと言う前に、愛を優先させようではありませんか、と提案するのです。

 「偶像に供えられた肉」についてどう考えるかということについて基本的にはちゃんと理屈があります。このごく具体的な事柄について教会員は悩んでいました。知識としては食べても差し支えない。進歩的な人は進んで食べていました。しかし、異教徒に対するこだわりのある人は食べないことをもって信仰と考えていました。どうでもよいことでありながら、しかしそこにはきわめて深刻な内容がありました。そしてそれは信仰の本質でもありました。

 私たちはキリスト教信仰という全き真理を頂いています。それを伝えるためにどのような工夫と思いやりをしているでしょうか。こちらの知識の正しさばかりを主張して、相手をバカにしないまでも思いやりや尊敬を欠いているとしたら伝道は可能にはなりません。

 イエスのところに行って、高価な香油を注いだ女性は、弟子たちから「なぜこんな無駄遣いをするのか。高く売って貧しい人に施すことができたのに」という非難を浴びました。(マタイ26;6以下)イエスはこれに対して、「なぜこの人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」と言っています。この「良いこと(カロス)」とは「美しいこと」という意味があります。弟子たちの言い分は「正し」かったかも知れません。しかし愛が感じられません。その正しさは人を殺します。悪魔は決して悪い言葉で人を説得しません。もっともな知識といかにも正しい理屈で人を神から遠ざけ、誘惑するのです。私たちが「神を知る」のではなく、「神に知られている」そこに愛が生まれるのです。みんなからなんと愚かなことと非難されるかも知れない。非難されるか、誉められるかが目的ではありません。神さまから愛させている。神さまに覚えられている。その愛に何とか応えるものでありたい、この応答性に信仰の本質があるのです。

 「どうでもいいこと」でありながらそのなかに決定的なことを動かす真理が込められている。それを大切にしていきたい。パウロは、偶像に供えられた肉を食べようが食べまいが、どちらにしても罪を犯すことはできない。しかしその行いを見た人がつまづくならば、その人のためにもキリストが十字架につかれたのだから、「彼らの弱い良心を傷つけることになり」、それは「キリストに対して罪を犯すことになる」というのです。だから結論として彼は「今後決して肉を口にしません」と言う。それは真理のためではなく、兄弟への愛と救いのためです。

      

 神に知られた者は深い愛に捉えられています。そこには知識を生かす愛があるでしょう。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(1)

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。