今週の説教要旨

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2013年3月3日

「小さき者」 

榎本栄次 牧師

聖書 ヨブ記25章 1-6節

 光は闇に輝く、と言いますが、闇は意味のない呪われた時ではなく、そこは光としておられる神に出会う場であります。私たちはこの世で闇のように思うことや見栄えのしない小さな者を見過ごしにしたり、よけいなもののように思ったりしますが、神はこの「小さき者」を注意するようにと言われます。(マタイ18:10)

 ヨブの友人ビルダドは最後通告をします。かれのヨブに対する短い言葉は諦めであり、友人としての断絶を通告するものです。彼は、神の偉大さに比べて人間はいかに小さな存在であるかを強調します。「恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ、天の最も高いところに平和を打ち立てられる」(2)「どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。・・まして人間は蛆虫、人の子は虫けらにすぎない」(4,6) 神の全能性と人の小ささを比較します。

 彼の言葉は一見最もらしく聞こえますが、決定的な過ちがあるのです。それは「小さいこと」に対する理解です。人間が神に比べて小さいことがいけない罪のように捉えていることです。見栄えのしないこと、土のちりのような存在をどう捉えるかです。それを神からの罰、罪のしるしととるか、そこに神が共にいてくださるととるかの違いです。正しそうに見えて、人格を欠いた信仰的な言葉は、時として人間関係を破壊します。彼の言葉にはヨブに対する説得力がありません。それは彼の中に神が共にいてくださるという愛の先行がなく、宗教の教義があるだけだからです。人格の欠けた「正しい」教義は、人間関係を破壊します。

 主イエスは、天の国のたとえでタラントンの話をされました。(マタイ25:14-30)ある主人が僕たちを呼んで、自分の財産を預けました。一人に5タラントン、一人に2タラントン、もう一人に1タラントンを預けて旅に出ました。しばらくしてその主人が帰ってきて、僕たちを呼んで計算を始めました。5タラントンを預かった僕は、それで商売をして他に5タラントン儲けました。主人は大いに喜び、その人に10タラントン預けました。2タラントン預かった僕も商売をして、2タラントンを儲けてそれを主人に出しました。主人はその報告を聞いて大変喜び、彼に4タラントンを預けました。ところが1タラントンを預かった僕は預かった1タラントンだけを出しました。彼は主人の前に出て言いました。「ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、・・地の中に隠しておきました」。主人は「怠け者の悪い僕だ」と言ってきつく叱り、財産を取り上げてしまいました。このたとえの中心は、1タラントンの人にあります。「蒔かないところから刈り、散らさないところから集める」というのは神の全能性です。神さまは無から有を生ずる方であるから、わたしの1タラントンなどたとえそれが10タラントンであったとしても何の意味もない。そんなことすることよりも、神の全能性に任せて何もせず、地に埋めておく方がよいと考えたのです。

 主人は神であり、タラントンを預かった僕たちは人間です。神の全能性を理由に自分の預かったものを地に埋めてしまったのです。このわずかなものは意味がないと理解したのです。

 「小さい者」であることを悲しみ、呪うのですが、それは神様からくださったタラントンです。そこには神の深い思い入れや期待があります。それを理解しないで、きらびやかな見栄えのすることや王宮に祝福や神の栄光を見ようとすると、御心が見えなくなります。主イエスが私たちのために十字架にかかってくださいました。それはこの「小さき者」と神が共にいてくださり、一緒に泣き、悲しんでくださるということです。それによってこのような罪人が義人とされたのです。これほど大きな恵みはありません。ここに「イエスは主なり」と信仰告白せざるを得なくなる喜びと勝利があります。この「小さき者」であることを、嘆くよりもここにいて共に重荷を担ってくださっている主に目を向けることです。また重荷を負って苦労している人のところに主がおられることを知らなければなりません。

                                            

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。