今週の説教要旨

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2013年9月29日

「わが民」 

榎本栄次 牧師

ホセア書 1章

榎本栄次 牧師

 聖書の神は、全知全能の神であられるとともに、この私と関係し、私を愛し、私に真実を求めたもう人格神の方です。神は私たちを一般の一人としてではなく、「わが民」と呼び、ご自分のことを「あなたがたの神」と言われます。「我と汝」(M・ブーバー)の神でいらせられます。信仰とは単に神の存在を信じるかどうかではなく、神との人格的なやりとりが求められます。まさに夫婦の関係のように互いのあり方を求め、縛り合う関係です。そのような関係の中で神は私たちの神となってくださり、また私たちはその神の民とされるのです。私たちが主から離れる時、追いかけてきて引き戻される方です。何をしていても文句は言いませんというのは、愛とは言わないでしょう。関係のない人はどうでもいいことでも、愛する者は放っておけないのが愛の関係です。

 今週から、旧約聖書のホセア書を連続で学んでいきます。預言者ホセアは、「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキアの時代(B.C.787-697)、イスラエルの王ヨシュアの子ヤロブアムの時代(B.C.787-747)」におもにイスラエルで活躍した人です。この時代はダビデの往時を思わせる繁栄の時でした。繁栄は民の心を神から離れさせ、農耕宗教であるバアル礼拝に傾かせました。そこではヤハウェの名による淫行の宗教儀式がはびこっていたのです。ホセアはこの罪を神は決して見逃しにはされないことを警告します。

 神はその時、ホセアに「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」と命じました。ホセアの召命は彼自身の家庭の問題への取り組みから始まるのでした。その痛みが同時に預言活動の内容であり、ホセアと妻ゴメルの関係は、神とイスラエルのそれであり、破綻状態でした。ホセアは自分の預言活動をする上で、自分自身の家庭のことを無関係なところに置くことが許されなかったのです。妻の淫行に対して憤りながら、イスラエルの神に対する不真実を叫んだのです。彼にとって家庭の問題と国家の問題は切り離せない事でした。この二つの事柄は、はじめから自覚的に取り組まれたのではなく、後になってホセアが回顧したときに、これらのことが主の御心によって進められていたことが分かったのだろうと言われています。「淫行の妻をめとる」ことがホセア書のテーマです。

 ホセアの妻は結婚した後、夫のもとを離れて他の男のところに行き、3人の子どもを生みました。当時の事情は現代の男女関係とは大きく異なっていて、厳しい戒律の下にありました。律法の十戒では姦淫した男女は石で打ち殺されることになっていました。(レビ記20:10)人の妻と姦淫する者、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない。(申命記21:21)そのとき、町の人は皆、彼を石で撃ち殺し、あなたがたのうちから悪を除き去らなければならない、とあります。一人一個ずつ石を持ってその人に投げつけるのです。それも律法で決められており、たとえ相手が自分の友人であっても兄弟でも子どもでもそうしなければなりませんでした。そうすることによって罪を自分たちの中から追い出したのです。「淫行の妻をめとる」ということは、いわばその罪を許すだけではなく、自分自身が律法の違反者になるのです。神がそれを命じるということは神ご自身が律法を破られるのです。

 ゴメルは男の子を生んだ。ホセアはこの子どもにエズレルという名をつけました。それは北王国第二の首都であり、エヒウ王が前の王ヨラムの一族を皆殺しにした罪を意味します。ゴメルはまた男の子を産んだ。その子をロ・ルハマ(憐れまれぬもの)と名付けました。更に彼女は男の子を産んだのです。その子をロ・アンミと名付けました。それは「わが民でない者」という意味です。3人ともいわば呪われた子として受け入れられたのです。

 これはイスラエルに対する神の宣告でもあり、断罪です。イスラエルは、神の民であると自認していましたが、それを否定する名前です。イスラエルは「わが民でない者」と宣告されました。この宣告は辛い。される方もする方も辛い。ホセアは自分の家族の痛みを通して、イスラエルの罪を裁かれる神の言葉を取り次いだのです。神はその民を引き取り、その上で「わが民でない者」と言われるのです。「わが民」であるが故の叫びである。この呪いの中にこそ主イエスの祝福を見る。

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. 
The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。