今週の説教要旨

HOME   >  今週の説教要旨

2014年9月7日                                    聖霊降臨節第14主日   

「悔い改めの時」 

榎本 栄次 牧師

ヨハネの黙示録  16章

 黙示録には終末において起きる神の厳しい裁きが予言されています。それはキリストの贖罪によってなくなるものではなく、その時こそ悔い改めの時です。人は厳しい裁きなしには悔い改めることができないのでしょう。辛い経験をしたとき、一つの分かれ道に立たされます。それは悔い改めて神に立ち帰るか、頑なになって神を冒涜するかです。黙示録16章において、七人の天使によって神の怒りの七つの鉢の中身が注ぎ出される様子が述べられています。
第一の天使が鉢の中身を地上に注ぎました。すると「獣(皇帝ネロのこと)の刻印を押されている人間たち、また、獣を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた」(2)のでした。 
第二の天使が鉢の中身を海に注ぐと、「海は死人の血のようになって、その中の生き物は全て死んでしまった」(3)とあります。
 第三の天使が鉢の中身を川の水の源に注ぐと、「水は血になった」(4)。そして天使は「この者たちは、聖なる者たちと予言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然のことです」と言っています。(6)
 第四の天使が鉢の中身を太陽に注ぐと「人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった」(8,9)。 
 第五の天使が鉢の中身を「獣の王座に注ぐと、獣が支配する国は闇に覆われた。人々は苦しみ、もだえて自分の舌をかみ、苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒涜し、その行いを悔い改めようとはしなかった」のです。(10,11)
 第六の天使が鉢の中身を「大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた」(12) 。そして「汚れた霊どもは ヘブライ語で『ハルマゲドン』(滅びの場)というところに王たちを集めた」(16)のでした。
第七の天使が鉢中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ「事は成就した」と言った。「いまだかってなかったほどの大地震があった」。(18)
このような激しい神の怒りですが、これを経験した人々は、神を恐れ、悔い改めることをせず逆に「神を冒涜した」のです。他方、天使たちはこの神の裁きをほめうたい賛美しています。
以上のことを現代の事象に照らして読み返してみますと、現代社会に当てはまることの多いのに驚きます。福島の土地が汚されています。放射能汚染の大地は癒やしようがありません。川の源が汚れ、海が汚染され、多くの人が皮膚病や難病に苦しみます。太陽もオゾン層の破壊で紫外線のやけどに苦しみます。地震や洪水の被害も後を絶ちません。これらは「金こそ神なり」とする「獣にひざまずいた」罪から来る警告ではないでしょうか。ヘブル語で言うハルマゲドンについては、オウム真理教が掲げて合い言葉にしたもので、自分たちが神の国を作る気分になって、大混乱の大都市(ハルマゲドン)を作り出そうとしたのです。地下鉄サリン事件はその妄想から来ています。これもまた現代の人類の罪と神の裁きの一つと言えるでしょう。
 主は「悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう」と言われました。その悲しみを悔い改めの時とし、神さまのもとにもっていくことで祝福に変えられるから幸いなのです。
私たちの身の周りで起こっている様々な現象は、すべて神の御心がかかわっています。そのことを知りつつ、悲しみや苦しみを悔い改めの時として神様のところに立ち返りましょう。
 この裁きを受けて天使たちは神の正しさを讃美しています。「あなたの裁きは正し、真実である」と。悲しい出来事にあったとき、そこで神の正しさに気づくことが祝福です。神はこの悔い改めを待っておられます。


音声をお聞きいただけます

2014/9/7 悔い改めの時

日本基督教団 世光教会のご案内

世光教会の礼拝に参加をしてみたいとお考えの方、キリスト教会は、キリスト教信者だけが集うところではありません。
厳かな雰囲気と温かみのある空間で、清々しい祈りの時間をお持ちいただけます。
小さなお子様づれでも安心してご参加ください。
また、信仰のこと、心に抱えている悩みごとなど相談したいことがございましたらご遠慮なくおいで下さい。
いつでも、皆さまのお越しを、心から歓迎いたします。
世光教会では、結婚式をはじめ、キリスト教による告別式など冠婚葬祭も心をこめておこなっています。

聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。