今週の説教要旨

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2015年10月11日                                  聖霊降臨節第21主日礼拝 

「 感謝 」 

榎本 栄次 牧師

ルカによる福音書  10章17-24節

 「あなたはなぜクリスチャンになったのですか」「なぜ牧師をしているのですか」と聞かれたら「大得をしたから」と迷わず答えます。このようなわたしが罪許されて、神様の民とされ、ご用をさせて頂き、そのうえお給料までいただけるのですから。感謝で「ありがたい」と心から思います。だからわたしは嬉しくて仕方ないんです。どんなに責められても、損をしても嬉しいのです。50年前に伝道師になってから、また開拓伝道に取り組んで苦労しているときも全く同じでした。そして今も変わりません。人に迷惑をかけたり、争って負けると悔しい思いも人一倍ですが、すみませんと思い、頭をたたいたり、悔しいなあこんちくしょうと言いながら、それでも嬉しいのです。人生百倍楽しむことは神様の民になることです。
 イエスに派遣されて伝道に出かけた72人の弟子たちは、大きな成果を上げて喜んで帰ってきました。そしてその報告を受けた主イエスは、自分のことのように喜び、彼らを励まし、神に感謝しておられます。
 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠し、幼子のような者にお示しになりました。そうです、これは御心にかなうことでした」(21)
これです。「大得した」ということです。本来は「多くの預言者たちや王たち」が望むことであり、見たり聞いたりするはずのことが、何の資格もない「幼子のような者」たちに現されたのですから。言わば「依怙贔屓」(えこひいき 特定の人に目をかけて特別に有利にすること)です。神様がルール違反をされたのです。そのことを主は「御心に敵うこと」と言っています。
 ずっと前になりますが、浦綾子さんがわたしのことを「先生は神様に依怙贔屓されてますね。だって失敗しながら上に上がっているもの」と言ってくれました。失礼な最高の褒め言葉です。そしてお亡くなりになる少し前に、テレビで「わたしは神様に依怙贔屓されているんです」と仰っていました。それは謙遜なんかじゃない、心からの実感だと思います。
 教会の伝道活動の進展、量質両面での拡大と深まりは常に課題であり、その成果は教会の喜びです。また主イエスの喜びでもあるでしょう。見える形での業績は、私たちの収穫であり、大きな喜びと感謝です。それはすでに勝ち取られているキリストの勝利にあずかる無償の成功です。
 とは言え、教会の宣教はキリストの大きな勝利に包まれていますが、世にある現実の教会は、厳しいところに立っていると言わなければなりません。遣わされた弟子たちは「狼の群れに小羊を送り込むようなもの」(3)ゴラジンやベッサイダの者たちのような頑強な抵抗のただ中で伝道に従事しているのです。成功ばかりではないと言うよりも、失敗と苦難ばかりという方が当たっているかもしれません。まさに悪霊の取り巻くところですが、その悪霊もキリストの配下に置かれているという伝道者はその事実に出会うのです。真っ暗闇の井戸の中で空の星が見えるように、主の復活と勝利に出会うのです。それ故にそこでも感謝と喜びに包まれます。
 次に教会の陥りやすい過ちは、外見的な成果にとらわれることです。72人が伝道の成果に有頂天になっていることに「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなた方の名が天に書き記されていることを喜びなさい」(20)
 イエス・キリストによる救いの到来は、悪に対する神の勝利であり、神の真理を「幼子のような者」に示されたことです。教会は決してこの世に勝っているのではなく、キリストに置いて勝った者とされたのです。神の勝利に立ち、それを伝えるのが教会の宣教です;
 このような者が、神の業に加えられ用いられていることはただただ感謝するのみです。



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2015/10/11 感謝

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聖書It would be greatly appreciated by the person who makes peace. The reason for the person is that it is called the son of God.-平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。